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東海道49番目の宿場町・土山宿。滋賀県甲賀市

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 10月29日、東海道49番目の宿場町・土山宿へ行きました。3週連続、東海道宿場町巡りになります。

 旧・水口町から旧・土山町に入りましたら、甲賀忍者と水口宿と土山宿の特徴を現した宿場町が描かれている看板がありました。
 看板の近くにはコスモス畑があり綺麗に咲いていました。

 旧・土山町に入りますと茶畑が見る事ができます。旧・土山町では江戸時代には茶の栽培が行われていましたため、東海道・土山宿の特産に茶葉がありました。現在では「近江の茶」の主な生産地になっています。

 土山宿に向かう途中、頓宮という場所を通ります。
 頓宮とは斎王が宿泊する場所で、頓宮には垂水斎王頓宮跡があります。
 ところで斎王とは、天皇の名代として伊勢神宮に仕えた皇女です。
 天武天皇の時代に制度化され、後醍醐天皇の時代までの660年以上続いた制度です。
 垂水斎王頓宮跡は伊勢神宮へ仕える皇女が伊勢へ派遣される途中、宿泊する場所でした。
 斎王については別の機会に取り上げたいと思います。

 土山宿につきました。宿場町の雰囲気を感じました。本陣跡もありました。
 土山宿は江戸時代、東海道が整備される以前から宿場町として栄えていました。
 土山は難所を呼ばれる鈴鹿峠の麓にあります。現在と違って、山道を徒歩で峠超えするため、雨や雪が降ると足止めを食らいます。危険がいっぱいだったため、峠の手前の宿は重要でした。
 ちなみに江戸時代に東海道が整備される以前でも、伊勢参拝の街道でした上、鎌倉幕府が成立した際、京都と鎌倉を最短で結ぶ道として重要な街道でした。

 土山宿には文豪であり軍医だった森鴎外が宿泊した記念碑があります。森鴎外の祖父は津和野藩の藩医でした。参勤交代で移動中に病気になり、この地で亡くなりました。そのため土山宿にお墓があります。森鴎外は祖父の墓参りのために土山宿を訪れました。
 文学の知識のない私なので森鴎外の作品については何も語れませんが、森鴎外について横道それた話を紹介します。森鴎外の子供達の名前は、今でいうキラキラ・ネームです。
 長女は茉莉(まり)はMarrie、杏奴(あんぬ)はAnne。長男は於菟(おと)でotto、次男の類(るい)はLuisで西洋人の名前に由来します。森鴎外はドイツに留学していましたので、ドイツ人の名前をつけたかもしれないですね。
 外国人の名前を付けるのは昔からありました。江戸幕末の儒学者の佐久間象山は、自分の名前を中国の宋代の儒学者・陸象山の名前「象山」を見て、自分の名前にしました。西洋人の名前を使ったキラキラネームは森鴎外が最初の人かもしれないですね。

 東海道伝馬館があります。中に入りました。
 53あります宿場町の絵と特産品の展示がありました。土山宿の茶葉、隣の水口宿の干ぴょうも展示していました。
 各宿場町の模型がありました。精巧に作られていますので凄いとしか言い様がありませんでした。

 3週続けて週末は宿場町へ行きました。江戸時代の雰囲気を味わえました上、歴史も知る事ができたので、少し賢くなった散策でした。

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