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命のビザは杉原千畝だけでなかった。根井三郎。福井県敦賀市
2022年12月18日、敦賀市へ行った時の話です。
敦賀ムゼウムという資料館があります。
命のビザ。概略を書きますと、1940年、ナチス・ドイツによるユダヤ人迫害から逃れようとしたユダヤ人が、リトアニアの日本領事館に救いを求めてきました。
リトアニアの日本領事館領事代理だった杉原千畝は、外務省にユダヤ人へのビザ発給の許可を求めても、外務省が認めませんでした。
そこで杉原千畝は悩み抜いた末、独断で日本を通過するビザの発給を行いました。その結果、ソ連もユダヤ人の通過を認めざる得なくなり、ユダヤ人はシベリア鉄道を使ってウラジオストクへ向かい、そこから定期国際船で敦賀まで向かいました。
以上、概略です。
しかし、資料館を見学していますと、思いもよらぬ事を知ることになりました。
シベリア鉄道でソ連を通過するユダヤ人ですが、ソ連の秘密警察に恐喝され金品が強奪されたため、無一文になって日本に到着した人が多いという事です。
ソ連に入っても安心はできなかったという事です。
ウラジオストク領事館の臨時領事の根井三郎の展示がありました。
外務省から「杉原のビザを発給したユダヤ人を入国させるな」という指示に対して、「面白くない(よろしくない)」と突っぱねた上、ビザを持っていなかったユダヤ人に対して独断でビザを発行しました。
根井三郎に光が当たりだしたのは、つい最近です。根井三郎が発行したビザが発見されたのは2020年です。ビザを発給してから80年です。
もちろん杉原千畝も光が当たるまで時間がかかりました。無断でビザを発給したため、外務省をクビにされました。酷い話ですね。
少し杉原千畝が救われたのは、1968年、イスラエル大使館から杉原千畝に電話がかかり、命のビザへの感謝が行われました。ビザを発給したユダヤ人との再会を果たしました。イスラエルではユダヤ人を救った英雄になりました。
しかし、その後も外務省は杉原千畝の功績を認めない上、無断でビザを発給した人物という認識でした。杉原千畝が存命中に名誉回復される事はありませんでした。
2000年になり外務省は遺族に対して非礼を謝罪し、ようやく名誉回復になりました。
敦賀ムゼウムを見学した事で、根井三郎の功績を知る事ができました。