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近鉄に乗って奈良まで行きました!  近鉄奈良線の見所紹介

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 1月21日、近鉄に乗って奈良へ行きました。
 難波駅には奈良経由で京都行きの「観光特急あをによし」が停車していました。思わず撮影しました。
 しかし「あをによし」に乗るには予約が困難といわれる特急券が必要です。人気列車には簡単には乗れません。

 ところで近鉄と阪神は相互乗り入れしています。そのため難波駅は近鉄奈良線と阪神なんば線の接続駅になります。
 そのため乗り越し精算機を見ましても阪神専用と近鉄専用に分かれています。
 余談になりますが乗務員交代は難波駅ではなく、隣の桜川駅(阪神なんば線)で行っています。
 相互乗り入れの場合、普通でしたら接続駅で乗務員の交代を行います。しかし、近鉄難波駅には折り返し線がなく、隣の桜川駅に折り返し線を作ったため、桜川での乗務員交代となっています。

 あをによしが出発した後、後続の快速急行に乗りました。
 以前、鶴橋から松阪まで、のんびり快速急行の旅を書きました。しかし奈良線の快速急行は早いです。そして特急に抜かれる事もありません。鶴橋を出たら奈良の生駒まで止まりません。

 石切付近になりますと、坂道をどんどん登っていきます。大阪の景色が一望できます。
 天気が良かったためあべのハルカスが綺麗に見えました。2023年1月30日時点では日本一高いビルです。高さ300mです。ただ、あべのハルカスの展望台に行った事がありません。一度、展望台から見れる絶景を見てみたいです。

 新生駒トンネルに差し掛かりました。トンネルを抜ければ奈良県になります。
 ところで「新」生駒トンネルで「新」がつきます。旧・生駒トンネルがあったからです。
 1911年(明治44年)に着工したトンネルです。当時の近鉄の前身・大阪電気軌道がトンネルを開通させれば、大阪と奈良が最短で結べるため、
 しかし、当時の技術ではトンネルの掘削は困難を極めました。莫大な費用もかかりました。
 大阪電気軌道に融資していた北浜銀行は、その融資が放漫と大阪日日新聞に掲載された事をキッカケに取り付け騒ぎが起こりました。のちに北浜銀行は破綻しました。

 大阪電気軌道ですが、運賃収入が思うように稼げず、切符すら発行できない財政状況だったため、近くの神社の賽銭を借りて切符を発行しました。
 そして工事を請け負った大林組は、工事費用が思うように回収できず倒産寸前に追い込まれたようです。
 第一節 生駒隧道工事 | 第五章 きびしい試練 | 第一編 創業と成長の時代 | 大林組八十年史

 ところで莫大な費用をかけた大工事が行えたのは、実業家・岩下清周がいたからです。
 岩下清周は大林組と大阪電気軌道(現・近鉄)の経営に参画していた上、北浜銀行の頭取だったためです。
 当時、日本で2番目に長いトンネル、しかも複線では日本一長いトンネルになりました。
 この大工事のおかげで、大阪・奈良間を高速で結ぶ事ができ、近鉄奈良線はドル箱路線になっています。
 岩下清周は長期的視野で、かつ大きな発想をする経営者なのが感じとれますね。

 トンネル完成から50年経った1964年、今の新生駒トンネルが開通したのと同時に、旧・生駒トンネルは廃止になりました。しかし、生駒側では旧・生駒トンネルの一部を、けいはんな線が使っています。100年経った今も使われている。凄いですね。

 電車は西大寺駅に到着しました。京都線との合流地点です。
 西大寺駅構内にはAI案内ロボット・アリサがいます。古都奈良に近未来のロボットが登場した感じですね。
 西大寺駅構内には展望デッキがあります。鉄道好きの方なら、どんな電車が来るのか楽しめる場所です。京都行きの急行を見る事ができました。
 西大寺駅から近鉄奈良駅までの区間は、阪神の車両、京都市営地下鉄の車両を見る事ができます。運が良いと同時に写真に収める事もできます。
 西大寺駅ですが駅ナカが充実しています。買い物、食事ができます。鉄道を見るのが好きな方なら、展望デッキで電車を眺めながら、駅ナカで食事をしたりして過ごせそうですね。

 西大寺駅から奈良行きの急行に乗りました。しばらく平城京跡の敷地内を走ります。世界遺産の中を駆け抜けます。
 でも、この光景が見れるもあと37年です。近鉄は2060年を目標に線路の移設をする事を発表しました。
 平城宮跡貫く近鉄奈良線移設へ 2060年度完成目指す(日本経済新聞社:2021年3月25日の記事)

 そして奈良駅に到着しました。
 近鉄・奈良線に乗りますと明治以降の近代産業史を垣間見たり、大阪を一望できる景色が見れたり、西大寺駅で快適に電車見学ができたりしますので、ちょっとした楽しい鉄道の旅ができますね。

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