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アメリカを飛ぶ謎の気球。元祖は日本。

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 先日、中国の気球がアメリカ上空を飛んでいました。バイデン大統領が撃墜命令を出した事で気球は撃墜されました。
 【詳細】米本土飛行の中国気球を撃墜 残骸回収し解明へ(2023年2月6日の記事:NHK)
 米中対立はどうなるのか。国際政治の素人の私にはわかりませんが、不測の事態にならない事を祈るばかりです。

 ところでジェット気球に乗って太平洋を横断する気球ですが、元祖は日本です。

 費用がなくても相手を驚かせる物を開発するのが日本のお家芸です。
 戦時中、物資がない日本。それでもアメリカ本土を攻撃する方法を考えました。
 爆弾を気球に搭載し、ジェット気流を使って太平洋を横断させ、アメリカに着弾させる方法です。
 気球の材料は和紙とコンニャク糊です。国内で生産可能です。風船爆弾と言われました。

 9000個の風船爆弾が打ち上げられ、300個ほどの風船爆弾がアメリカ本土に着弾しました。
 人的被害は少なく不発弾の爆発で6人が亡くなりました。しかし山火事が起こるなどして、アメリカを恐怖に陥れました。
 アメリカは報道管制を敷いて、風船爆弾の事を隠しました。そのため日本側は風船爆弾の効果を知る事はできませんでした。
 もし、アメリカで被害が出ている事が日本に伝わっていれば、さらに風船爆弾を製造していたかもしれません。

 ところでジェット気球を発見したのは日本人です。大石和三郎が発見しました。
 1920年、つくばに高層気象台ができました。気球による観測でジェット気流が発見され、1924年、エスペラント語で発表し、世界の気象学者に配布しましたが、当時の世界の気象学者からは無視されました。
 ジェット気流の発見は空襲をしたアメリカの爆撃機ではなく日本の風船

 そのため日本しかジェット気流の存在を知りませんでした。
 万物を利用し、かつ入手可能な材料を使った風船爆弾。日本のお家芸ですね。

 余談ですが、私の知り合いの方から興味深い話を聞きました。
 知り合いの祖母は、戦時中、工廠(こうしょう:軍事工場)に駆り出され、風船爆弾の製造を行っていました。
 当時、風船爆弾の製造のためコンニャクが貴重品になりましたが、余ったコンニャクが支給され、持ち帰ったコンニャクをみんなにお裾分け。大変、喜ばれたようです。当時の生活風景が垣間見えますね。

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