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甲賀流忍術屋敷(甲賀望月氏本家旧邸)。滋賀県甲賀市
2月11日、甲賀流忍術屋敷(甲賀望月氏本家旧邸)へ行きました。
この忍者屋敷は観光用にできた建物ではなく、江戸時代元禄年間(1688~1704年)に建てられた本物の忍者屋敷です。
中に入りますと忍者屋敷のからくり(回転扉、落とし穴など)がありました。
そして実際に使っていた手裏剣、マキビシなどの武器の展示もありました。
本物の忍者屋敷だけに、当時に忍者の様子を垣間見る事ができます。
甲賀忍者ですが、世に知られるようになりましたのは1487年の「鈎の陣」の戦いです。
時の将軍・足利義尚が佐々木六角氏を討伐するため甲賀城を攻めましたが、その時、佐々木氏の味方をしたのが甲賀忍者です。
有名になりましただけに、まざましい戦果を挙げたと思われます。この時、佐々木氏に味方した地侍53家の事を甲賀五十三家と呼びます。
その佐々木氏ですが、織田信長に滅ぼされました。織田信長が佐々木氏討伐の際、甲賀忍者は佐々木氏の味方をしませんでした。
甲賀忍者が佐々木氏に加勢しなかったのは、徳川家康が佐々木氏に加勢しないことを条件に甲賀攻めをしなかったとも言われています。
忍者屋敷の望月家ですが甲賀五十三家の筆頭格です。
望月家は、古来からの甲賀の地侍ではなく、起源は信濃にあるようです。平将門の乱(939年)で功績があったため、近江・甲賀の領地を与えられたと言われています。
平安時代の中期までさかのぼる話だけに歴史を感じますね。
忍者を活用した戦国武将として挙げられるのは徳川家康です。
本能寺の変の後、大坂にいた徳川家康は安全に三河に戻るため、甲賀忍者、伊賀忍者の協力を得ました。
先週の大河ドラマ「どうする家康」で、妻の瀬名を助け出すために忍者を活用した場面が出てきました。忍者による救出劇は創作ですが、忍者と結びつきが強かった徳川家康らしい話の展開ですね。
余談になりますが瀬名を演じています有村架純さんは伊丹出身の女優です。弊社・本社があります宝塚のお隣だけに、地元出身の女優さんを応援したい所です。
ところで甲賀の地は薬草の宝庫でした。そのため甲賀忍者も薬草を取り入れました。
忍者屋敷では健保茶を頂く事ができます。各種薬草が入ったお茶で、忍者が日ごろから体調管理に飲んでいた薬草茶です。
江戸時代になり平和な時代が訪れ、忍者としての役目がなくなっていきましたが、望月家では薬草の知識を使って薬売りを行っていました。
以前のブログ近江日野商人館で、日野商人が薬売りをしていた話を取り上げました。
それとは独立した形で甲賀忍者も薬売りをしていました。明治になり近江から製薬会社が誕生しましたのは日野商人だけでなく、甲賀忍者の薬草の知識も大きく関わっていました。
忍者でも病気は忍術ではなく薬で治す。忍者は魔術師ではない事の証明ですね。