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八丁味噌の本場は岡崎の八帖町。愛知県岡崎市
青春18きっぷの季節がやってきました。7月23日、八丁味噌の本場・岡崎へ日帰りの旅へ行きました。
岡崎といえば徳川家康です。その前に八丁味噌の工場見学を行いました。
今まで八丁味噌は名古屋とばかり思っていましたが、岡崎だった事を知りました。
八丁味噌の名前の由来ですが、八丁村で醸造された味噌だったため八丁味噌と呼ばれるようになりました。
八丁村の地名の由来は、岡崎城から八丁(約870m)の距離に八丁村がありました。そのまんまの地名ですね。
現在の地名表記ですが「八丁」ではなく「八帖」になっています。
現在、八帖町で八丁味噌を製造しているのはまるや八丁味噌さんとカクキューさんの2社です。
まるや八丁味噌さんの創業は1337年です。後醍醐天皇の建武の新政が終わった翌年です。700年近くの企業です。すごいですね。桶狭間の戦いの時、徳川軍の戦陣にぎりの味噌になったとも言われています。
脱線してしまいますが、まるや八丁味噌さんの場合、創業当時は、誰を相手に味噌を販売していたのか気になる所です。
それなりにお金のある武将なのか、庶民にも販売していたのか。味噌の価格は? 物々交換だったのか?
建武の新政の直後の時代背景。鎌倉時代に宋銭が出回り、貨幣経済が発達してきました上、大豆の生産や味噌の製造も可能になってきた事、バサラ文化で派手さを好む。豪華な味噌をたっぷり使った料理を富裕層が食した可能性。
創業時期と時代背景を当時に考えますと、歴史の素人ながら想像(妄想?)が膨らんできます。
そしてカクキューさんは創業は1645年です。江戸時代初期です。400年近く前に創業。これもすごいですね。
今回はカクキューさんの工場見学をしました。
カクキューさんの社員の方がガイドをしてくれました。わかりやすい解説でした。
樽の中には6トンの味噌が入っています。重しの石は3トン。味噌は固いため、樽から取り出す際、硬いため力仕事になっている事。パッケージにつめていく際も機械化できないため手作業で行っている事を知りました。
樽を締めるのは、もともとは竹タガ(竹箍)だったのが、巨大な竹タガが作れる職人がいなくなったため、鉄の輪っかになった話がありました。
鉄のタガだと錆びてしまうため竹よりも寿命が短い事を仰っていました。竹の強さを感じますね。
あと「タガが外れた」の語源になっている事も教えていただきました。
売店で、今年限定の「どうする家康」の印入りの味噌が売っていました。話のネタにもなります上、個人的に八丁味噌は好きなので買って帰りました。
とんかつの上にかけて食べる。考えるだけでもお腹が空いてきそうです。