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清少納言のゆかりの榊原温泉。三重県津市

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 半年前の話になりますが、今年の2月23日に榊原温泉へ行きました。
 近鉄・榊原温泉口駅(大阪線)の看板広告に「清少納言ゆかりの日本三名泉・恋の湯治場」と書いています。
 清少納言は紫式部のライバルとも言われています上、今年の大河ドラマ「光る君へ」にも度々、登場しています。
 榊原温泉が、どんな温泉なのか確かめるため、榊原温泉口駅から徒歩で榊原温泉へ向かいました。

 榊原温泉口駅から榊原温泉までの交通機関ですが、夕方にコミュニティーバスが1本あるぐらいです。
 温泉宿に宿泊される方は旅館の送迎バスがありますが、そうでない場合は徒歩で向かうか、それとも近鉄・久居駅(名古屋線)から路線バスを使うかのどちらかになります。

 榊原温泉の地域に入りますと清少納言の絵が描かれた看板がありました。なぜ清少納言ゆかりの温泉なのか。
 その理由は枕草子に『湯は七栗の湯 有馬の湯 玉造の湯』と書いているためです。七栗とは榊原温泉周辺の地名で、当時は七栗と呼ばれていました。

 榊原温泉ですが平安京から伊勢神宮までの道のりの途中にあります。平安時代には皇族・貴族が伊勢神宮に参拝していたと言われています。
 そのため旅の途中で疲れを癒す温泉だった可能性があります。 

 枕草子で榊原温泉を讃えていますが、実際に清少納言が榊原温泉に行ったかどうかは定かではありません。
 今のように交通機関が発達していたわけではありませんし、道や宿場町が整備されていたわけではありません。
 治安も良くなかったため山賊に襲われる可能性があれば、野生動物のシカやイノシシに突進されたり、クマに襲われる可能性もありました。警護の人がいないと危険な道のりでした。
 お伊勢参りが一般化したのは街道や宿場町が整備され治安が良くなった江戸時代中期と言われています。
 そのため清少納言は受け売りで日本三大名湯として七栗、有馬、玉造を枕草子に書いていた可能性が考えられます。

 そして清少納言ですが、実在していた事を示す一次史料が見つかっていません。高校の古典で清少納言の枕草子を習いますが、清少納言が実在の人物だったかどうかがわからずに習っています。
 歴史の素人の勝手な想像で恐縮ですが、清少納言というペンネームで、何人かの女流作家が順番に作品を書いていた可能性も考えられますし、実は紫式部が1人2役で異なる文体の作品を書いていた可能性もあります。
 1000年前にタイムスリップしないと本当の事はわからないですね。

 温泉街を散策していますと射水神社にたどり着きました。射水神社の歴史、榊原温泉の歴史を説明した看板がありました。
 境内には大きなハートがありました。縁結び、恋愛成就のようです。古来より「恋の病には七栗の湯」を題材にした歌が詠われていましたためのようです。
 「榊原」という地名の由来は、榊が多く自生していた事から榊原という地名がついたと言われています。

 射水神社の近くに東門跡がありました。江戸時代の湯治場の地図もありました。
 説明書きをみますと1588年、榊原城主・榊原氏によって湯治場造営されました。その時、国内最大だったと言われています。
 江戸時代になり津藩の統治下になり、湯治場に入るための関所が設けられました。安全保障上、何かあったのかもしれないですね。

 ところで苗字は地名に由来する事が多いです。榊原温泉は榊原氏の発祥の地と言われています。
 昨年の大河ドラマ「どうする家康」で登場しました徳川四天王の榊原康政ですが、一説には榊原温泉の地を起源する家系と言われています。他にも三河説もありますので断定はできませんが。

 温泉街をさらに散策していますと温泉旅館・清少納言がありました。まさに清少納言ゆかりの地といった感じです。

 折角、榊原温泉に来ましたので温泉に浸かるたためラムちゃんパーク榊原温泉湯の瀬へ行きました。
 お土産販売のコーナーに温泉むすめ・榊原伊都がいました。(温泉むすめ公式サイト)

 この日は生憎の雨でしたので綺麗な景色がとれませんでしたが、枕草子に書かれています三大名湯の雰囲気を味わう事はできました。

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