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京都の乙訓タケノコを広めた男・三浦芳次郎
先日、京都府乙訓郡大山崎町で石碑を発見しました。
三浦芳次郎を称える石碑です。
鎌倉時代初期に道元が宋から持ち帰った孟宗竹を長岡京市に植えたのですが、タケノコが食用になったのは江戸時代後期からでした。
明治になり食用としてのタケノコに注目が集まったため、付近の農家はタケノコの増産をするため、竹林を増やしました。
しかし、供給先が京都市内と限られていたため、すぐに供給過多になり、タケノコが売れなくなりました。
そこで三浦芳次郎が大阪・神戸を走り回り、京都の乙訓(おとくに)のタケノコを宣伝し、販路を拡大しました。
当時は鉄道がありませんでした。そのため新鮮なタケノコを販売できる地域は限定されていましたが、幸い、大量の物資を運ぶ方法がありました。
大阪から京都を流れる大河・淀川です。海上交通を利用して、タケノコの販路を広めていきました。
その後、鉄道が開通し、東は名古屋、西は広島へと販路を広げました。
新鮮なタケノコを届けるのは、鉄道が欠かせなかったという事ですね。
運送手段の発展に伴い、タケノコの販路拡大していく。そんな事を知ると面白いですね。