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猛暑日増加。冷房は生命維持装置。
連日、酷暑で冷房が欠かせない日々ですね。
今や冷房は快適さを求める機械ではなく、熱中症防止のための生命維持装置になっていますね。
私が子供の頃、冷房は普及していませんでした。でも、暑いと言いながらも、夏を過ごす事はできました。
それもそのはずで、当時は暑いといっても、最高気温が、せいぜい30度を超える程度で、今みたいな酷暑はありませんでした。
1970~1979年の10年間の猛暑日の合計は大阪で61日、東京で15日でした。
1980~1989年の10年間の猛暑日の合計は大阪で60日、東京で9日でした。
当時の大阪は、暑かったとはいえ、平均しますと猛暑日は1週間ぐらいでしたし、夕方になると気温が下がりましたので、なんとか乗り切る事ができました。
でも、2000~2009年の10年間の猛暑日の合計は大阪で153日、東京で36日でした。倍以上になっていますね。
猛暑日(日最高気温35℃以上)の年間日数の変化 – JCCCA 全国地球温暖化防止活動推進センターを見ますと、年々、猛暑日が増える傾向です。
今年は7月で大阪の猛暑日は10日になっています。
昔は冷房なしで過ごせたり、子供が外で遊んでも熱中症で倒れる事件が起こらなかったのも納得できますね。
ところで、25度以上で夏日。30度以上で真夏日。35度以上で猛暑と定義されています。
この定義ができた頃は、25度以上だと夏の暑さで、30度で夏真っ盛り。35度は想像絶する暑さだった事がわかりますね。
そして夜、25度以上ですと熱帯夜と呼ばれ、寝苦しいと言われていました。
でも、今の感覚ですと、日中の30度は当たり前ですし、夜の25度ですと、冷房なしでも寝れますね。
個人的な過去の経験でも、私が小学生の頃、水泳の授業で、プールの水温が低いために水泳中止はありましたが、水温が高いため中止になった事はありませんでした。夏休みになりますと、学校のプールが開放される日があり、プールへ行きました。
でも、現在ではプールの水温が高いために、熱中症の危険のため、水泳の授業が中止になる事があります。
ネットで話題になっていますのが、1988年(昭和63年)に放送された番組「仮面ライダーBLACK RX」です。
クライシス帝国が人工太陽を作って東京が灼熱地獄になった話です。
この時の灼熱地獄の温度が38度。当時(30年前)は、38度といえば、人が住めない想定外の暑さだったんですね。