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新撰組の駐屯所・八木家
暑い京都。39度まで上がりました。京都にあります新撰組の駐屯所(八木家)の側を通りました。
丁度、大河ドラマ「西郷どん」で禁門の変の話が放送されたばかりなので、思わず、入っていきました。
入って正解でした。私が、いかに新撰組の事を知らなかったかがわかり、新撰組について勉強する事ができました。
江戸幕末、新撰組が結成された時、壬生村に駐屯する事になりました。
その時、八木家と前川家(お隣同士)が新撰組の宿泊を引き受ける事になりました。八木家の建物の写真を見ますと、農村の雰囲気がありますね。
実は、この辺りは、江戸時代末期は農村でした。そして八木家は浅井長政の血を引くだけあって、壬生村の名家でした。
新撰組ですが、近藤勇が初代局長と思っていましたが、芹沢鴨が初代局長だったのを初めて知りました。
新撰組の結成時は、芹沢鴨を中心とする水戸浪士の集まり、近藤勇の集まりなど派閥(?)がありました。
新撰組で内部抗争が起こり、芹沢鴨をはじめとする水戸派は、八木家で近藤勇、土方歳三達に殺されました。
八木家の柱などには刀傷がありました。生々しかったです。
ところで近藤勇が実権を握り、局長になった後、新撰組の規律が厳しくなりました。局中法度と呼ばれる物です。
近藤派の人達は、素行の悪い連中の集まりだったため、彼らを統制するために、規律が厳しくなったようです。
京都での評判も悪かったそうです。飲みに行っても勘定を払わないなど、迷惑な存在だったそうです。
新撰組は京都で勤王志士や倒幕運動をしていた人達には恐れられた存在でした。池田屋事件で新撰組は怖い存在となっていますね。
でも、新撰組は勤王志士を殺した数よりも、内部粛清で殺した数(45人)の方が圧倒的に多かったそうです。
京都にあります歴史的な場所へ行きますと、知っているようで、全然知らない歴史を発見する事ができました。