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二本杭。山城国と伊賀国の標識。
10月13日、京都府と三重県の県境を渡るため、旧大和街道を通りました。
県境の所に二本杭があります。
京都府側には「従是東伊賀国」の標識があり、三重県側には「従是西山城国」の標識があり、仲良く並んでいます。
江戸時代、山城国大河原村(現・京都府相楽郡南山城村)と伊賀国島ヶ原村(現・三重県伊賀市)の間で、国境を巡る論争がありました。
地元での話し合いでは決着がつかず、幕府に判断を委ねるべく、幕府に訴えでました。
1699年、幕府の検使が調査のため現地入りをし、国境を定めた上で、二本の杭を建てるように命じました。
当時は木製の標識でしたが、その後、石の標識になりました。
ところで三重県側の石の標識の方が新しいです。実は、明治になって京都府と三重県が協議し、元々あった三重県側の標識を移設しました。
現在の三重県側の標識は、2003年に建てられました。
日本国内における過去の領土問題が垣間見える標識ですね。