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煎茶の製造法を考案した永谷宗円。京都府綴喜郡宇治田原町
5月18日、煎茶の製造法を考案した永谷宗円の生家へ行きました。
生家に到着しますと、地元のボランティアの方に色々説明していただきました。
生家には、永谷宗円の肖像だけでなく、製茶に使用していた焙炉の跡も残されていました。当時の雰囲気を感じる事ができました。
永谷宗円は江戸時代前半(1680年生まれ)の人で、庶民が緑茶を手軽の飲める方法を考案した人物です。
今でこそ、普通に飲める緑茶ですが、当時、緑茶といえば高級な抹茶でした。庶民は番茶しかありませんでした。
特に抹茶の原料になります碾茶(てんちゃ)場合、茶畑を覆って日光を調整する栽培法(覆下栽培)ですが、宇治の特定の御茶師しか栽培が許されていませんでした。
そこで路地栽培でも美味しい緑茶の製造法がないかと考え、試行錯誤の上、熱した板の上で手もみする手法を考案しました。
1738年、煎茶を売り込むために、1人江戸へ向かいました。しかし、大半の販売店は見た事もない煎茶に対して興味を示しませんでした。
この時、山本嘉兵衛商店だけが強い関心を持ちました。山本嘉兵衛が煎茶を飲んで、美味しさに驚き、販売を引き受ける事になりました。
そして煎茶が江戸で大人気になりました。
この山本嘉兵衛商店ですが、現在の山本山さんになります。あのテレビCM「上から読んでも山本山。下から読んでも山本山」の山本山さんです。
ところで永谷宗円の凄いのは、58歳で煎茶の製造法を考え始めた事です。そして江戸まで売り込みに行きました。98歳の長寿を全うしました。
起業は何歳からできるという、お手本そのものですね。
お茶漬けやマーボー春雨の永谷園さん。永谷園さんの創始者は永谷嘉男で、永谷宗円の子孫になります。
永谷の直系の子孫は、宇治市の六地蔵へ移り、永谷宗園茶店を営んでおられます。
煎茶の考案者の足跡を辿りますと、色々なことを知る事ができますね。