Blog

三日月の由来は播磨風土記。兵庫県佐用郡佐用町三日月(旧・佐用郡三日月町)

ブログ

 8月30日、JR姫新線の三日月駅を通りました。駅舎には三日月の飾りがあり、駅の近くにも三日月のモニュメントがありました。

 播磨風土記に由来する事を知りました。
 仁徳天皇の時代、伯耆と因幡の豪族が贅沢三昧で、足を洗う際、酒で洗っていたぐらいだったため、これはけしからんという事で、2人を逮捕。
 罰として、水に漬けて苦しませた(みかづけ)が転じたのが由来と言われています。他にも水漬けした場所が「弥加都岐原」だった事も言われています。
 伯耆と因幡は今の鳥取県になります。逮捕して兵庫県まで連行するのは意外ですね。おそらく朝廷まで連行する途中で、罰した可能性もあります。
 時代を経て「細月」(みかづき)になり、今は「三日月」になっています。どれも当て字です。

 仁徳天皇といえば「民のかまど伝説」が有名ですね。
 夕方、丘から集落を見ても、どこからの煙が出ていないため、食事の準備ができないほど、民は貧窮していると考え、3年間、税を免除した話です。
 その間、宮殿はぼろぼろになり、雨漏りをしても修復もせず、それでも仁徳天皇は「私は豊かだ。民が豊かになる事で、私も豊かになる」と言って税の免除を続けていました。この話には続きがあり、さらに3年、税を免除したため、ぼろぼろの宮殿とぼろぼろの衣服を着ている仁徳天皇に対して、見るに見かねた民が、自主的に税を納めだしました。
 民想いの仁徳天皇だからこそ、民を無視して、無駄使いをする豪族が許せなかったのかもしれないですね。

 長年、兵庫県民として過ごしていますが、まだまだ知らない事があると痛感しました。

Share

Category

Archive

Recent posts