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根日女伝説の玉丘古墳。2人の皇子と根日女の恋物語。兵庫県加西市

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 10月6日、兵庫県加西市の玉丘古墳があります玉丘史跡公園へ行きました。
 公園の入口前には根日女(ねひめ)をモデルにしました加西市のマスコットキャラの「ねっぴ~」がお出迎えしていました。
 公園内は玉丘古墳だけでなく、いくつかの古墳もあります。そして散策していますと、埴輪が並んでいたりします。

 根日女伝説とは、10月2日のブログで紹介しました2人の皇子(意祁命・袁祁命)にまつわる話です。
 古事記・日本書紀ではなく、播磨風土記に記された話です。

 暴君・雄略天皇(第21代)は粛清のため父親の市辺押磐皇子(雄略天皇の従兄弟)が殺された2人の皇子。
 三木市志染町の石窟へ隠れ住んでいました。そして、2人の皇子は身分を隠して、地元豪族の下僕として働くことになりました。

 その時、豪族の娘で、巫女の根日女と出会いました。
 2人の皇子は根日女に恋をしましたが、2人の皇子は仲が良かった上、シャイなのか、2人とも譲り合いをしました。
 そのためお互い根日女と結婚する事なく、月日が経ち、2人の皇子は大和へ帰る事になりました。

 そして大和を平定し、2人の皇子が皇位継承を譲り合いながらも、弟の袁祁命が顕宗天皇に践祚しました。
 しかし、既に根日女は播磨の地で亡くなりました。悲しんだ2人は、根日女の墓を作る事にしました。これが玉丘古墳という伝説です。

 余談になりますが、その後、2人の皇子はそれぞれ別の女性を后に迎えました。
 しかし、弟の袁祁命(顕宗天皇)には子供ができず、兄の意祁命(仁賢天皇)は皇子が生まれました。
 その皇子は後の武烈天皇で、父親が善政を敷いたのとは対照的に、残虐非道の限りを尽くしました。そして子孫を残さず崩御しました。皇統が絶える危機を迎えました。
 そこで皇統を継続させるべく皇族の血を引く者を探しましたら、10親等離れた人物が見つかりました。継体天皇になりました。
 当時は皇族の子孫は「王」と名乗れたため、皇統を引き継げる者を探すのは容易だったかもしれません。

 バラバラで見ると覚えるのが辛い歴史も、つながっているのがわかりますと面白いですね。

 ところで根日女伝説は、加西市出身の漫画家・ななじ眺さんが「ねひめのとき~根日女伝説×『パフェちっく』~」を描いておられます。
 加西市のサイトにはアニメで見る根日女伝承があります。根日女伝承|播磨国風土記の里 加西(加西市)

 播磨風土記の里・加西へ行かれてみてはいかがでしょうか。

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