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朝貢は見栄っ張りだった話。古代・中世の中国
朝貢と聞きますと、中国が周辺諸国に対して「皇帝に貢物をしろ」と属国に迫る事を思いうかべそうです。しかし、朝貢は外交儀礼の過ぎません。平たく言いますと、皇帝への挨拶のための手土産という感覚です。そして倍返し以上の返礼品があったため、周辺諸国は喜んで朝貢していました。
なぜ朝貢があったのか。ただの見栄っ張りだったためです。
周辺諸国の人達が皇帝に手土産を持っていく。そして皇帝は見栄を張って高価な返礼品を渡すという構図です。
特に地方役人は得点稼ぎで「皇帝の力は遠方まで届いています」というお世辞を使うため、相手国に朝貢を依頼した話があるぐらいです。
ところで聖徳太子以来、中国の王朝と対等な関係を持っていました日本ですが、日本も朝貢は行っていました。
返礼品が目的だったためです。朝廷や幕府だけでなく、民間団体までが返礼品目的でゾロゾロと朝貢しに行った事もあります。
明の時代、初代皇帝の洪武帝は鎖国を行いました。日本では室町時代です。
室町時代は、日本人がもっとも凶暴だった時代と言われています。室町時代の日本は戦乱と飢饉で相当、人心は荒んでいました。
朝貢で物資が手に入らなくなった日本の民間団体が怒り、和寇となって中国大陸で暴れる事もありました。
室町時代、明から和寇取り締まりの要請があったのも、そのためです。
明の3代目皇帝・永楽帝の時代に、明は鎖国を緩め、国家間の貿易だけを認める事になりました。その条件は冊封(明の属国)に入る事でした。
足利義満は、あろう事か、明の冊封に入り、明の皇帝の臣下として、日本国王の号までもらいました。そのため売国奴と言われる事もあります。
いくら国家間の貿易しか認めないという明の方針だったとしても、日本を貶めてまで金儲けする姿は、評価はできないですね。