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武漢は日本人好みの観光地? 中国湖北省武漢

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 武漢でコロナウイルスが発生し、大騒ぎになっています。日本にウイルスが持ち込まれないかどうかで、不安と恐怖を感じますね。

 ところで武漢といえば、日本人が観光したくなる史跡のある中国内陸の都市です。

 三国志で有名な赤壁の戦いのあった場所です。厳密には武漢の近くの赤壁市ですが。映画「レッドクリフ」を連想しますね。
 劉備と孫権の連合軍と、曹操との対決。諸葛孔明が風を見方にして、曹操の水軍を火の海にしました。
 赤壁の戦いには突っ込みどころがあります。曹操が80万の兵を率いたとなっていますが、1800年前です。
 当時、80万の兵隊を統率するだけの指揮命令系統、食料や物資などが調達できたかどうかです。仮に10分の1の、8万の兵だったとしても、相当な人数です。
 本当にそれだけの兵を率いたのかどうか突っ込みを入れたくなりますね。
 赤壁の戦いの時、劉備と孫権は協力をしましたが、その後、この地を巡り争いがはじまり、劉備は新天地の蜀(現在の四川省)に移りました。

 唐の時代の李白の詩に「黄鶴楼にて孟浩然の広陵に之くを送る」があります。その黄鶴楼があるのも武漢です。高校の漢文に出てきたと思います。
 この黄鶴楼は、三国志の呉の国・孫権が創建した物と言われ、何度も再建されて、現在の姿になっています。
 孟浩然の「春眠暁を覚えず」は有名ですね。しかし冬ですと布団から出たくないため「冬眠暁を覚えず」になりそうですね。

 日本でいう江戸末期、アロー戦争が起こりました。イギリス・フランス連合軍と清朝と戦争です。
 清朝は敗北し、その時、武漢に列強の租界ができました。なぜ沿海部でなく内陸部と思いそうですが、武漢は大型船でも行ける場所です。
 武漢の中央を長江が流れています。長江は大型船が航行できる大河で、武漢よりもさらに内陸の重慶まで大型船で行く事ができます。
 中国内陸部の重慶に工業地帯がありますのは、戦後、中国共産党が政権をとり、外から攻められにくいが物資の輸送がしやすい重慶を選んだためです。

 歴史好きの方なら武漢は観光したくなる所です。
 それだけに、早くコロナウイルスの問題が収束してくれるのを願うばかりですね。

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