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民間人出身から天皇になった人物。醍醐天皇
何やら過去に天皇の位を簒奪した不届き物がいるような題名になっています。でも、不届き物の話ではありません。
昨日のブログで、宇多天皇が一度、臣籍降下して皇族から離れたましたが、その後、皇族復帰して天皇になった話を書きました。
今日は宇多天皇の息子・醍醐天皇の話を書きます。
醍醐天皇ですが、宇多天皇が皇族を離れていた時に生まれました。そのため生まれた時は皇族ではなく民間人でした。
宇多天皇が皇族復帰したと同時に息子の醍醐天皇も皇族になりました。そして宇多天皇の後、天皇に即位しました。
醍醐天皇といえば、讒言を信じて、菅原道真を大宰府へ左遷しましたと言われています。ただ一説には父親の宇多上皇の影響力を削ぐため、宇多上皇に引き立てられた菅原道真を排除したとも言われています。
菅原道真が大宰府で無念の死を遂げた後、京の都では不吉な事が連発しました。そのため菅原道真の怨念と言われるようになり、後の日本三大怨霊の一つになりました。
特に天皇が政務を行う清涼殿に落雷があり、醍醐天皇は無事でしたが、落雷のために死者が出ました。落雷事件後、醍醐天皇は心労にため病気になり崩御されました。
その他には摂政を置かず、新政を行いました。そして日本初の勅撰和歌集の古今和歌集の編纂を紀貫之に命じました。文化人でもありました。
ところで建武の新政で知られています後醍醐天皇。醍醐天皇のような親政を目指したため、自分から「後・醍醐」という贈り名を名乗りました。
建武の「新政」(新しい政治)と天皇のよる「親政」。2つの漢字は異なります。漢字変換誤りではありません。
歴史を見ますと面白い事が見えてきますね。