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周恩来の記念碑。京都市右京区
2月11日、嵐山公園(亀山公園)の中を散策しました。公園内に周恩来の記念碑があります。
周恩来は中華人民共和国の初代首相です。中国では、名宰相として現在でも中国人の尊敬を集める人物です。
私が周恩来の記念碑を見た際、ちょうど側に中国人の学生がいました。
彼は「日本に留学していたのは知っていたけど、京都に記念碑があるとは知らなかった」と言っていました。
そして「両親に報告せねば」と言って、スマホで撮影していました。
周恩来は聡明と言われていますが、日本では挫折を味わっています。
1917年、19歳の時に日本に来たものの、旧制高等学校(今の大学の教養課程)の試験に立て続けに落ちてしまい、日本で高等教育を受ける事ができず、挫折の時期と言われています。
しかし、日本滞在中にロシア革命が起こりました。そして2年間の滞在のうち半年間は京都にいました。その際、聴講生として京都帝国大学の講義で聴き、マルクス思想に出会いました。周恩来が共産主義革命に関わる要因を作ったのが日本留学になります。
その後、周恩来は勤労学生としてフランスへ渡り、どんどんマルクス主義を学んでいきました。
そして若くして中国共産党・欧州支部の総書記という責任者になりました。
この時、後の腹心となる鄧小平と出会いました。フランス語が流暢でイケメンで聡明な周恩来だったといわれています。
なぜ、日本で挫折したのか不思議ですね。
周恩来にとって日本留学は無駄ではありませんでした。日本人の考え方、日本の制度などを学びました。
その結果、日中国交回復の際、中国に有利になるような交渉を進めることができました。
日中国交回復の際、周恩来が京都に留学していた事から、周恩来の記念碑が建てられました。
ところで蒋介石は1907年に日本に留学し、高等教育を受け、一時期は日本帝国陸軍の将校でした。
歴史に「もし」は禁物ですが、もし、日本の旧制高等学校に入学でき、蒋介石同様、日本帝国陸軍や海軍の将校になっていたら、共産党ではなく、蒋介石と共に国民党で活動していたかもしれないですね。