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摂関政治が成り立った理由は通い婚だから。

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 平安時代、藤原家が摂関政治。
 自分の娘を天皇の后にし、生まれた子を天皇にする事で、実権を握る手法です。中学の歴史を思い出しますね。
 しかし、摂関政治が成り立った理由は習いませんでした。

 当時、貴族社会は通い婚でした。男性が女性の実家へ通って愛を育むという形です。
 さすがに天皇が后の実家に通う事はありませんでした。しかし、后が妊娠すると、実家に戻り、出産後の育児も実家で行いました。
 生まれてきた皇子は母親の実家で育てられるため、常に皇子は外祖父に接していました。皇族よりも多くの時間を接していたため、親密度も高かったわけです。
 そして皇子が天皇になるときは、まだ子供のため、外祖父の言う事を聞く天皇になりました。

 子供の頃は外祖父の言う事を聞いても、大きくなると「うるせえジジイ。俺の好きにやらせろ」となるかもしれませんが、その頃には上皇に退位させられたりしました。

 貴族社会では通い婚のため、嫁の実家の力に左右される事があります。
 しかも一夫多妻だったため、妻の実家同士の抗争になったりしました。
 摂関政治でも、外祖父にとっては、どの娘が生んだ子供を天皇に据えるかで頭を抱えました。異母姉妹達の抗争があったりしました。

 歴史の教科書からでは、なかなか見る事ができない女同士の戦い。調べてみると、面白い発見があるかもしれないですね。

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