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日本武尊を祀る建部大社(近江一宮)。滋賀県大津市

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 5月23日、滋賀県大津市へ行きました。近江一宮とも呼ばれます建部大社へ行きました。
 建部大社は第12第天皇の景行天皇の皇子・日本武尊(ヤマトタケルノミコト)を祀っています。

 日本武尊は九州の熊襲征伐の際、女装して宴席にもぐりこみ、相手を油断させた所で、相手を刺すという話が有名ですね。
 他にも焼津で火に囲まれた際、草薙の剣を使って身を救った話などがあります。

 神社の境内に入りますと、日本武尊の物語が絵で描かれています。

 この神社は景行46年(316年)に滋賀県の彦根辺りに創建され、675年にこの地に移ってきました。
 667年に天智天皇が、この地に遷都(大津京)しました。しかし僅か5年の都でした。675年は既に壬申の乱が終わり、天武天皇が飛鳥に遷都しています。
 もしかしますと天智天皇の時代に引越しが決まり、引越しが終わったときは、既に大津京はなくなっていたという事かもしれないです。

 拝殿の前には三本杉があります。755年に植えて、一夜にして成長した杉と言われています。
 一晩で成長するのはウソに決まっていると言いたくなりますが、伝説なので突っ込みを入れないようにします。

 境内を散策しますと綺麗な庭園でした。
 本殿の後ろに回りますと、菊花石と、さざれ石がありました。
 菊の模様をした石を菊花石といいますが、実物を見るのは初めてでした。本物の菊の模様に見えますだけに、とても自然の作品とは思えないですね。
 さざれ石といえば、君が代の歌詞にもあります。君が代が流れていた。

 境内には鎌倉時代の灯篭もありました。古くからある神社ですね。

 建部大社ですが、全国的にも知る人ぞ知る神社のようです。
 日本武尊を祀っています事から、日本最初の1000円札にも描かれていました。
 その説明が書かれていた看板がありました。昭和20年8月(終戦直後)に発行されたお札で、日本武尊と建部大社が描かれています。
 「近江一宮」となっていますだけに、近江国(滋賀県)では一番格式の高い神社になります。

 ところで日本武尊と近江国ですが、意外な関係があるかもしれません。
 日本書紀には景行天皇が大津市に高穴穂宮へ移住したと書かれています。
 高穴穂宮跡は大津市内の穴太にあります。今の高穴穂神社です。唐崎や坂本から比較的近い所にあります。
 景行天皇の皇子であります日本武尊が近江を拠点に活動していた可能性もあります。

 ただ、建部大社が創建した時は彦根周辺なので、穴太からは結構な距離がありますし、さらに書きますと景行天皇の陵墓は奈良県にあります。
 そして、日本書紀にある日本武尊の話や景行天皇の話は、日本創世の伝承を720年に書き記した物なので、創作や脚色もあります。
 そのため鵜呑みにする事はできませんが、歴史ロマンを感じたり、想像を掻き立てられますね。

 最後になりますが、建部大社は必勝祈願の神社とも言われています。
 源頼朝が伊豆へ流される際、建部大社に立ち寄り、源氏再興を願いました。
 それが叶ったため、必勝祈願、開運出世の神社としても人気があります。

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