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堺の伝統産業。堺伝統産業会館。大阪府堺市

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 7月12日、堺市にあります堺伝統産業会館へ行きました。
 前回、堺市へ行きました時、刃物、線香が伝統産業だとしりましたが、今回、意外な物が伝統産業だと知りました。

 鯉のぼりです。堺の鯉のぼりは金太郎が乗っているのが特徴です。
 昆布です。もちろん北海道産の昆布ですが、江戸時代、北回り(日本海、下関経由)の航路で、堺に昆布がやってきて、昆布の加工が行われていました。
 ここで想像力を働かせてみました。港という物流拠点だけでなく、刃物の町・堺。鋭い刃物があったからこそ、薄く昆布を削る技術ができ、昆布の加工がしやすくなった。正しいかどうかはわかりませんが、そんな風に想像を働かせると面白いですね。

 緞通(カーペット)、和ざらし・ゆかた、自転車も堺の伝統産業だと知りました。

 刃物と鉄砲と自転車。バラバラのようですが、実はつながっています。
 古墳時代、この辺りに多くの古墳が建造されました。その時、工具の開発のための技術集団が集まり、鍛冶技術が発展しました。
 鉄を使った刃物や農機具と発展していきました。戦国時代になり鉄砲が伝来しますと、鍛冶技術が鉄砲に応用されるようになりました。
 江戸時代は、幕府が堺の鉄砲を購入していましたが、明治になり、鉄砲産業が廃れました。
 それと同時に海外から自転車が入るようになりました。中古自転車の修理が国内でできないかとなり、鉄砲の砲身を作る技術と自転車の技術が似ている事から、国産の自転車が作れるという事になり、自転車生産が行われるようになりました。

 堺伝統産業会館には、ボランティアのガイドさんがいました。
 ガイドさんに色々教えていただき、勉強になりました。
 伝統産業の展示の隣では、伝統産業品の販売が行われていました。

 ところで戦国時代、堺は国際貿易港として発展しました。
 元々は平清盛が平安時代末期に兵庫港を開き、兵庫が国際貿易港でしたが、応仁の乱の時、東西軍の上陸拠点になったり、戦場になったりしましたため、貿易ができなくなりました。兵庫港の貿易機能の受け皿として堺が担うようになりました。

 今年の大河ドラマ「麒麟がくる」で、最初の方に明智光秀が鉄砲調達のため堺へ赴き、松永秀久に会う場面がありました。
 当時の堺の様子は、ドラマに出てきた雰囲気だったのか。タイムマシンに乗って確かめたくなりますね。

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