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奈良県が消えて堺県。奈良の大仏は大阪府? 明治時代の話。

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 7月12日、大阪府堺市にあります堺市立博物館へ行きました。
 展示物の中に明治の一時期にありました堺県の範囲の展示がありました。今の奈良県が堺県だったのには驚きました。

 堺県に関します展示物の写真撮影は可能でしたが、商用利用不可のため、このブログに載せる事ができません。
 地図も版権フリーの物が見つかりませんでしたので、お見苦しいかもしれませんが、私の下手なイラストを載せる事にいたします。

 堺県の最大時の範囲は、和泉国、河内国、大和国の三カ国が合体した物です。
 慶応4年(1868年)に大阪鎮台が設置されました。同年、大阪鎮台から大阪裁判所になり、大阪裁判所から分離した形で堺県ができました。
 同じ年に激しく都道府県の改変が行われていました。めまぐるしい時代ですね。
 その後、明治2年河内国の一部を堺県に編入。明治4年の廃藩置県の時に、残りの河内国と、和泉国を堺県に編入。そして明治9年4月に奈良県を編入しました。
 奈良県が一時的になくなった時代です。驚きですね。

 明治14年に大阪府に編入され堺県はなくなりました。でも、奈良は大阪府に編入されたままでした。
 明治20年になり、ようやく奈良県が分離されました。奈良県復活です。

 現在の都道府県の形に落ち着くまで、試行錯誤が繰り返されてきました。
 淡路島が一時期、徳島県でした上、四国が3県になったり5県になったりしていました。
 怒涛府県の形成の歴史を調べてみますと面白そうですね。

 明治の一時期ですが、奈良の大仏や法隆寺の所在地が奈良県ではなく堺県や大阪府にあったと言われると驚きますね。

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