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播州清水寺。京都の清水寺よりも歴史のあるお寺。兵庫県加東市
11月14日は加東市にあります播州清水寺へ行きました。
西国三十三所の巡礼で25番目のお寺で、紅葉が綺麗な所として知られています。
お寺は山の上にあります。車で境内入口まで登る事ができますが、登山口から2Kmの道のりを歩きますと、入山料は無料になります。
登山道の入口には「推古・聖武 両帝勅願所 清水寺」の碑がありました。勅願所とは、天皇や上皇の勅令によって祈願するお寺や神社の事です。
登山道といっても険しい道ではなく、初心者でも気軽に歩ける道なので、初心者の私でもハイキング気分で登る事ができました。
途中、あと「十丁」といった距離の標がありました。でも、昔の単位ですとピンと来ないですね。
30~40分ぐらいかけて登りますと、播州清水寺に到着しました。
紅葉が綺麗でした。ちょっとした山登りでも達成感があります。
播州清水寺の創建は、インドの僧・法道仙人と言われています。
この法道仙人は播磨の地で、いくつものお寺の建立に関わったと言い伝えられていますが、いつの時代の人物かなど、謎だらけです。
少なくとも西暦600年以前の人物と言われています。播州清水寺の縁起には「景行天皇の時代に法道仙人が建立した」となっていますので、日本書紀の世界です。
「清水」の由来は、法道仙人が水神に祈った所、水が出てきたので、清水と名づけられました。
推古天皇の時代、勅命により根本中堂が建立されました。聖徳太子の時代、飛鳥時代になります。
この頃、播磨は仏教先進地と呼ばれていたらしく、既に、聖徳太子ゆかりのお寺・鶴林寺(加古川市)、斑鳩寺(太子町)などの寺院がありました。
聖武天皇の時代、勅命により大講堂を建立しました。この時、奈良の大仏建立の陣頭指揮をとった行基が関わっています。
京都の清水寺は平安時代初期、坂上田村麻呂が建立したと言われています。桓武天皇の時代に征夷大将軍として東北征伐を行った将軍で、嵯峨天皇の時代に、薬子の変を鎮圧した人物でもあります。境内には「きよまろ」のイラストがありました。坂上田村麻呂のイラストです。
もしかしますと坂上田村麻呂が播州清水寺へ参拝した可能性があるかもしれないですね。
このお寺、加東市の山奥にあります。今でこそ文明の利器を使って参拝する事ができますが、当時は、何もありませんでした。
輸送手段はありません上、お寺の建立の際の重機もありません。道路は舗装されていません。
夏にはマムシが出たり、時にはイノシシやクマが出没していたと考えられます。命がけですね。
そんな過酷な状況でお寺を建立したのは凄いとしか言いようがないですね。