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「下らぬ」の語源になった灘の酒。兵庫県西宮市

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 日常、「下らん」という言葉を発する事がありますね。

 「下らん」の語源は、江戸に出荷しない物(品質が良くない)という意味に由来します。
 諸説ありますが、一説には灘五郷で生産された酒で、江戸に出荷できない品質の良くない酒を「下らない」と言ったのが始まりです。
 「出荷できないぐらい品質が良くない」から派生して、今の「下らない」という意味になりました。

 明治以前は、首都は京都でした。京都を中心に考えますと、江戸は下る方向になります。
 そのため当時の関西の視点では、江戸は「下った場所」でした。そのため平安時代など、関東へ行く事を「東下り」と言っていました。
 今は東京が首都のため、東京から他の地域へ行く鉄道路線を下りといい、東京へ向かうことを上りを言います。
 
 1500年代後半、伊丹で清酒技術が開発され、その後、伊丹と池田で酒造が盛んになりました。一時期、伊丹と池田の酒が江戸の9割を占めるようになりました。
 清酒については奈良発祥説もあります。伊丹市と奈良市は清酒文化を盛り上げるため、仲良く「うちが発祥の地」とアピールしています。
 江戸時代初期に、伊丹の酒造技術者が灘五郷で酒造を開始し、今の灘五郷になりました。

 灘五郷のひとつの今津郷で生産されました酒は、今津港を出航し、江戸に向かいました。
 江戸時代初期は酒だけでなく、各種物資が江戸に運ばれましたので、酒も一緒に運ばれました。
 1730年に酒専用の輸送船・樽廻船が建造され、樽廻船で江戸へ出荷されるようになりました。

 そして1810年、今の大関酒造さんが船の安全のため今津に灯台を建設しました。これが今津灯台です。
 1858年に再建され、それが現在でも灯台として運用されています。現在、大関さんが運営しています民間の灯台になります。
 そして現存する最古の灯台になります。江戸時代の灯台が嵐にも耐え、空襲にも耐え、阪神大震災にも耐えて、現在でも現役で動いているのは凄い事ですね。

 写真は今年の4月に撮影しました。

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