Blog

明智光秀の首塚。京都市東山区

ブログ

 12月27日、京都を散策の際、明智光秀の首塚へ行きました。路地に入った場所にありますため、少しわかりにくい場所でした。
 1582年、山崎の合戦で敗れた明智軍。明智光秀が落ちのびている途中、京都市伏見区小栗栖の竹薮で落ち武者狩りに遭いました。
 明智光秀は「もはやこれまで」となり切腹。家臣が介錯をしました。
 12月21日のブログで紹介しました明智光秀の終焉の地。京都市伏見区小栗栖です。

 明智光秀の首ですが、京都に晒された後、埋められたという説もあれば、家臣が隠し持ち京都で埋めたとも言われています。諸説あるようです。
 首が埋められた場所は、蹴上付近と言われ、蹴上に首塚ができましたが、その後、この地に移転しました。

 明智光秀の人生は謎だらけです。大河ドラマでは美濃の明智荘出身としていますが、実際の所、出生地は謎です。
 大河ドラマでは、美濃の守護代・斎藤道三に仕えていたとなっていますが、それも謎です。そして本能寺の変の動機も謎です。
 そして東庵先生、お駒さんは架空の人物です。

 ただ、大河ドラマで描いていることが全て創作かといえば、史実に基づいた部分もあります。
 応仁の乱で朝廷が困窮し、御所の壁が修理できない状況。織田信長が正親町天皇を支援した話などです。
 武士の衣装が派手なのも、最近の説が取り入れられています。

 コロナのためにNHKの大河ドラマ「麒麟がくる」の収録が一時中断されましたため、本来は12月で終わる所が、2月まで放送される事になりました。本能寺の変の話は今後の放送になります。
 このあたりの話を、ドラマではどう描いているのか。興味津々ですね。

Share

Category

Archive

Recent posts