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日本最古の茶園。日吉茶園。滋賀県大津市坂本

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 昨日で大河ドラマ「麒麟がくる」が終わりました。
 まだご覧になっていない方のために内容を書かかない事にします。

 明智光秀は、比叡山に睨みをきかせるため、坂本城を築きました。
 そこで以前、坂本へ行った時の話を今週のネタにしたいと思います。

 京阪・坂本比叡山口駅の改札を出た所のすぐ近くに日吉茶園があります。説明書きの看板がありました。
 比叡山の開祖・最澄が唐へ留学した際、留学先の天台山(現:浙江省天台県北にあります天台宗総本山の国清寺)から茶の種をもらい、この地に植えたのがはじまりと言われています。最澄は嵯峨天皇に煎茶を献上した事から、日本最古の茶園と呼ばれています。
 看板の内容の受け売りになりましたが、日本のお茶の歴史の出発点が滋賀県だったのは、この地に来るまで知りませんでした。

 調べてみますと760年頃の唐の時代、陸羽が茶葉・産地・道具・作法など広くまとめた「茶経」を世に出しました。世界最古の茶の専門書といわれています。
 それまでお茶は単なる飲み物だったのを、茶道という高尚な物の引き上げました。
 最澄達が唐へ留学したときは804年でしたので、既に「茶経」はありましたので、留学先で茶道を学んだと思われます。

 ところで大河ドラマでも堺の豪商であり茶人の今井宗久が出てきたり、松永秀久が茶器を宝物として扱ったり、織田信長が松永秀久が持っていた平蜘蛛を欲しがっていました。当時の上級武士は「教養を持たねば」という思いが強かったため、茶道を学んでいました。戦国大名達は名器を欲しがっていました。
 そして織田信長は家臣に対して領地を与えるよりも茶器を与えた方が安く済むと考え、褒美をとして茶器を与える事もありました。
 その一方、豪商は茶道を通じて、人的ネットワークを広げていました。政商ですね。

 最澄達が持ち帰った茶道が、700年以上の時を越えて戦国時代の大河ドラマに出てくる話にもつながりますので、歴史の面白さを感じますね。
 現在でも日吉茶園で収穫された茶葉は、日吉大社の献茶式で使われています。
 
 

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