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JR手原駅前には東経136度の記念碑。滋賀県栗東市

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 以前、JR草津線・手原駅に立ち寄った時の話を書きます。
 駅前には東経136度の碑があります。子午線135度の標識でしたら、明石市をはじめとします市町村で標識を立てたりしていますが、136度の碑を見るのは初めてでした。

 この周辺の地名を「手原」と言います。駅前の地名の由来には以下の事が書いていました。
 斉明天皇の時代(白鳳時代)の655年、名代・村造布佐には9人の子供がいましたが全員、女の子でした。
 そこでイザナギ・イザナミを祭神として勧請して、妻の腹に毎夜、手を置いた所、男の子が産まれたました。
 手を当てた事で孕んだということで「てはら」という地名になりました。

 後の「東海道名所記」に、その話のパロディーが取り上げられ、そして人形浄瑠璃や歌舞伎で紹介されるようになりました。
 この舞台にちなみ、駅舎が入母屋造のデザインになったと書いていました。

 斉明天皇は、乙巳の変(大化の改新:645年)の首謀者の中大兄皇子の母親です。乙巳の変の時は皇極天皇でした。黒幕という噂もありますが真偽は定かではありません。
 その後、譲位したものの、再び天皇(斉明天皇)になりました。日本で最初に生前譲位をした天皇であり、最初に重祚した天皇でもあります。
 脱線しますが、斉明天皇は土木大好きな天皇でした。その話は別の機会にします。

 他にも手原遺跡の石碑がありました。
 白鳳時代の寺院の遺稿があったり、平安時代後期から鎌倉時代前期の建物や土器が発見されたと書いています。
 この説明を読みますと古代より農村の集落ではなく、拠点となる集落だった可能性がありますね。だからこそ「てはら」の由来ができたのかもしれないですね。

 ところで駅の横断幕には「ようこそ馬のまち栗東へ」がありました。
 日本中央競馬会(JRA)栗東トレーニング・センターが栗東市にあり、そこから名馬が生まれたりしたため、馬のまちになりました。
 馬のまち・栗東(栗東市役所のサイト)
 栗東市立葉山東小学校の看板には馬に乗った少年の看板がありました。まさに馬の町ですね。

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