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菌神社(通称・きのこ神社)。滋賀県栗東市

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 以前、栗東を散策した時の話を書きます。
 栗東には菌(くさびら)神社があります。通称・きのこ神社です。食べるキノコです。

 神社の看板には、第12代・景行天皇の時代、竹田折命が田植えをした所、一晩でキノコが生えたことに由来すると書いていました。
 謎の生命体が田畑を駆逐するというホラー映画的な発想が出てきそうですが、当時の人は違っていたようですね。

 神社の看板には書いていませんが、キノコのおかげで大飢饉を救ったという話もあります。
 食用キノコだけ生えてきたという所でしょうか。それとキノコには穀物と同様の栄養価があるのかと突っ込みを入れたくなりますが、それは無しにします。

 ところで景行天皇は日本武尊の父親にあたる人物です。ほとんど神話の世界で、景行天皇が実在したかどうかは、現在の所、わかっていません。
 日本書紀には、晩年、大津市穴太の高穴穂宮に住み、106歳で崩御と書かれています。106歳はありえない話ですね。
 高穴穂宮は以前のブログ「大津京よりも古い時代、大津は首都だった。滋賀県大津市坂本の伝承」で紹介しました。
 強引ですが、景行天皇は晩年、栗東で収穫されたキノコを召し上がったという仮説が立てられそうですね。

 第34代・舒明天皇の時代の637年に、この地に勧請されたと書いていました。1400年近く前の話ですね。
 舒明天皇は推古天皇の次の天皇です。

 日本書紀には、推古天皇が皇太子を指名せずに崩御されたため、後継者選定に難航しました。
 すったもんだの末、田村皇子が次期天皇に選ばれました。

 舒明天皇が即位するもの受難の日々がはじまりました。彗星が現れたのを皮切りに次々と天災が襲い掛かりました。
 日食が起こった記述もあります。当時の人からしますと彗星や日食は不吉な予感だったようですね、

 ほかの記述を見ますと、有馬温泉へ行幸が3回と書いていました。温泉好きと同時に有馬温泉の古さを物語っていますね。
 新嘗祭をサボって、3回目の有馬行幸されたためか、行幸の翌日、雲がないのに雷が鳴ったとも記述されています。
 有馬温泉以外にも道後温泉にも行幸しているとも書いています。温泉好きだったのか、それとも蘇我氏に権力を握られ、温泉巡りしかできたなかったのかはわかりません。
 日本書紀の編纂が始まったのは681年です。舒明天皇の時代は、それよりも40年以上前なので、どこまで正確に記述されているかはわかりません。
 とはいえ、温泉巡り(?)した天皇がいたという記述を見ますと、人間味を感じますね。

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