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文禄堤と守口宿。大阪府守口市
今週は、以前、北河内を散策した時の話を書きます。
京阪守口市駅付近に盛り上がった土手があります。
文禄5年(1596年)、豊臣秀吉が毛利輝元、小早川隆景、吉川広家に対して、京都と大坂を最短で結ぶ道の建設を命じました。
堤防型の道路ができました。これが文禄堤です。堤の長さは全長27Kmといわれていますが、現在では淀川の改修などで姿を消し、京阪守口市駅前の700mぐらいになりました。
どれ位の工期で、どれくらいの費用をかけて、どれくらいの人数で建設したのか興味津々ですね。
文禄堤の上を散策しますと、意外と幅広いです。両側に住宅や建物がたっています。
奉行所などからの通知を張り出す高札の再現がありました。江戸時代という雰囲気が出ますね。
守口は東海道の57番目の宿場町です。東海道中皮差栗毛で言われています53次は江戸と京都までの宿場町の数です。
大坂まで延長した場合、57次になり、守口は最後の宿場町になります。
堤から降りる階段がありました石積みの階段なので、もしかして当時の階段かもしれません。
宿場町なので本陣がありそうな感じがします。実際、本陣がありました。
現在、本陣跡は駐車場になっていて看板のみが本陣跡を伝えています。
ところで守口といえば、守口大根が有名です。
豊臣秀吉が京都から大坂に向かい途中、守口の農家で大根の漬物を食べた時、美味しかったため「守口漬」と名づけました。
その後、守口大根と呼ばれるようになったという話があります。
守口大根(守口市役所のサイト)
守口市の新しいマンホールの絵柄にも守口大根が描かれています。柴犬の「もり吉」が守口大根を持っている姿です。