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古代ギリシャがもたらした物はオリンピックだけではなかった話

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 7月22日、東京オリンピックが開幕しました。
 柔道の阿部一二三選手、阿部詩選手が金メダル。兄妹で金メダルは快挙ですね。
 ほかにも金メダリストの柔道の髙藤直寿選手、スケートボードの堀米雄斗選手、水泳の大橋悠依選手。試合を見ている方も興奮しますね。

 開会式の選手入場で、一番最初に入場するのはギリシャです。古代オリンピックが行われたのは、ご存知の通りギリシャだったためです。
 古代のオリンピックは当時は男性のみ参加で、不正がないように全裸で競技を行っていました。優勝者にはオリーブの冠が授けられました。

 ところでギリシャとはどんな国なのか。正直な事を書きますと「行ったことがないので、わかりません」です。
 その上、古代ギリシャと現在のギリシャは全く別物です。そのため話題を古代ギリシャに絞ります。

 古代ギリシャ。都市国家だったためエーゲ海や地中海に点在していました。
 そのため現在ではトルコになりますアナトリア半島の沿岸部もギリシャの都市国家がありました。
 哲学者・タレスはアナトリア半島に住んでいました。数学者アルキメデスはシチリア島に住んでいました。今のイタリアですね。
 そのため個々の都市国家で見るよりかは、文化圏で見た方がわかりやすいのが古代ギリシャです。あくまでも個人的見解です。

 古代ギリシャで現在にまで残っている物は、哲学、美術、数学などが挙げられます。
 中学校の数学で習いました三平方の定理や図形の証明問題もギリシャ時代の物です。

 紀元前334年、マケドニア出身のアレクサンドロス大王(アレキサンダー大王)は、アケメネス朝ペルシャ攻略のためペルシャへ向かいました。
 アレクサンドロス大王は軍事の天才で、いけいけどんどんでペルシャ帝国を倒し、勢い余ってインドまで行きました。
 しかしインドには破壊力を持つ象部隊がいました。そのためインドには勝てず、周囲から「もう帰りたい」との声が出て、インド攻略はあきらめました。
 アレキサンドロスをアラブやインドの言葉ですと「イスカンダル」です。宇宙戦艦ヤマトが向かった星の名前です。
 古代ギリシャがなければ、宇宙戦艦ヤマトは、どこの星へ向かったのか。ちょっと考えてしまいますね。
 余談ですが、ロシアのミサイル「イスカンデル」」のアレキサンドロスに由来します。

 アレキサンダー大王の死後、プトレマイオス朝エジプト、セレウコス朝シリア、アンティゴノス朝マケドニアと3分割されました。
 セレウコス朝シリアといっても今のシリアからイラン、アフガニスタン、パキスタンまでの範囲を治めていました。
 インド攻略を考えるものの、象部隊の破壊力には勝てないと悟り、なんとインドと領土割譲の引き換えに象をもらいました。
 「象はすごいゾーウ!」と言ったかどうかはわかりませんが、象部隊を手にしてからマケドニアを攻略しました。
 今でいう核兵器に相当する威力でした。後にカルタゴのハンニバルが象部隊を率いてアルプス超えをしてローマを攻めますが、象部隊を地中海文明に持ち込んだのも古代ギリシャのお陰と言えます。

 ただセレウコス朝シリア西方に集中したため、ペルシャなどが反乱を起こし独立しました。ペルシャやアフガニスタンにギリシャ系の国ができました。
 バクトリア王国(今のアフガニスタン辺り)が良い例です。インドから伝わった仏教と融合し、筋骨隆々のガンダーラ仏像ができました。ギリシャの写実性が現れているといわれています。
 余談ですがバクトリア王国は、後に大月氏によって占領されました。漢王朝の張騫が大月氏を尋ねる旅の終着点は、今のアフガニスタン周辺でした。しかし、アレキサンドロス大王から200年経過していましたので、この時、ギリシャ文明が残っていたのかどうかは定かではありません。

 プトレマイオス朝エジプト。エジプトの王朝がギリシャ系になりました。クレオパトラはプトレマイオス朝の王族なのでギリシャ系です。
 ローマ帝国の執政官だったカエサルをメロメロにした才色兼備のクレオパトラです。

 古代ギリシャですが、ローマ帝国によって占領されますが文化力はギリシャが上だったため、ローマ人はギリシャに憧れを抱いていました。
 そのため古代オリンピックもローマ帝国に占領されてからも行われていました。

 しかしキリスト教が登場し、神の教えの前には、文化・芸術・技術も勝てません。どんどんギリシャ・ローマ文化が衰退していきました。
 ローマの巨大建造物がありましたが、キリスト教の普及と共に技術も衰退し、巨大建造物が建設できなくなりました。

 それを救ったのがバグダットを首都としたイスラム帝国・アッバース朝でした。
 豊富な財力と学問奨励のため西はヨーロッパ、東はインドから学者を集めました。古代ギリシャ、ローマの書物も収集し、アラビア語に翻訳していきました。
 1095年の十字軍遠征をきっかけに、アラビア文化がヨーロッパに流入した時、ヨーロッパ人は忘れていたギリシャ・ローマ文明と再会しました。
 それがルネサンスの原動力になっていきました。私たちがギリシャ神話、ギリシャ哲学、ピタゴラスの定理や幾何学の問題に接することができるのも、アッバース朝が古代ギリシャ・ローマ文明を守ったためです。
 そしてアッバース朝がなければ、近代オリンピックの復活はなかったかもしれません。

 ところで古代ギリシャはローマ帝国に占領されました。そしてローマ帝国が東西分裂し、東ローマ帝国(ビザンツ帝国)の占領下にありました。
 その後、オスマン帝国の占領下にありました。しかし19世紀になるとオスマン帝国は衰退を辿り、1830年、ヨーロッパの圧力でギリシャが独立しました。
 2000年近く経てギリシャ復活ですが、すっかり別物になっていました。

 ちょっと歴史を見るだけでも古代ギリシャの影響を垣間見ることができますね。

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