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日本最古の馬牧場があった蔀屋北遺跡。大阪府四條畷市

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 今週は河内散策の話です。
 以前、イオンモール四條畷の側を通りましたら、下水道処理施設・なわて水みらいセンターがありました。
 処理施設内には公園やテニスコートがあります。施設内を散策しますと蔀屋北遺跡の案内板があります。ところで「蔀屋」(しとみや)と読みます。難読漢字ですね。

 この遺跡は5世紀頃の物で、朝鮮半島の形式の土器や馬具が発掘されました。そして馬一頭の骨も発掘されています。
 ここに馬牧場があったといわれています。現時点で発掘されている馬牧場の中では、日本最古の物と言われています。
 馬は蒙古系の馬と言われています。渡来系の人達が大陸から馬につれて日本にやってきたと考えられます。

 5世紀の中国大陸と朝鮮半島は政情不安でした。
 中国大陸では五胡十六国時代で戦いに明け暮れていました。朝鮮半島は三国時代で伽耶、百済、新羅の覇権争いがありました。
 そのため安住の地を求めて日本に渡ってきた可能性があります。

 なわて水みらいセンターを散策していますと、発掘された一頭の馬の骨のレプリカがありました。等身大なのでわかりやすいです。小柄な馬だったのがわかります。
 海水を煮詰めて塩を作る製塩土器も大量に発掘されています。馬を飼育するのに塩が必要だったからです。四條畷ですが、現在は大阪湾から離れた場所にありますが、当時は海が近くにありました。そのため海水の確保が容易だった事が考えられます。

 馬と塩分。調べてみますと馬は汗をかき、つねに塩分が排出されるため、塩分補給が必要と言われています。馬の知識がないと発掘した物が何のために使われたのか理解できないだけに、考古学は色々な知識が求められますね。

 ところで中国大陸では五胡十六国時代。政情不安があった一方で、北方遊牧民族と漢民族の文化が混ざり合った時期でした。
 椅子、胡坐などは五胡十六国時代に北方騎馬民族から漢民族に伝えられた文化です。
 日本では渡来系の人達が大陸の文化を伝えたとも言われています。戦乱の余波を受けた形ですね。

 戦乱は悲劇を生む一方で、両者の文化が混ざり合う可能性があります。ほかの例ですと1096年にはじまりました十字軍遠征によってアラビア文化がヨーロッパに伝わった事でルネサンスが芽生えました。歴史を見る際、視点を変えますと違った物が見えたりしますので興味深いですね。

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