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高雄山神護寺の紅葉。京都市右京区

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 11月20日、京都の紅葉の名所・高雄山神護寺へ行きました。阪急西院駅から市バスで1時間近く揺られて到着しました。

 高雄山神護寺は780年頃、和気清麻呂によって創建されました。同時期に河内に神願寺を建立しました。
 過去のブログ「和気清麻呂を祀った和気神社」でも紹介しましたが、称徳天皇が寵愛する道鏡に皇位を譲ろうと考えていたのを止めた人物です。宇佐八幡宮神託事件です。
 
 当初は高雄山寺でしたが、824年に和気清麻呂の息子の真綱、仲世の要請によって、河内にありました神願寺と一緒になり神護寺になりました。父親が建立した2つのお寺を合併したという事です。
 そして平安時代初期、空海が住持を努めたお寺でもあります。空海が住持になって以来、真言宗のお寺です。
 その後、2回の火災に遭う上、鳥羽法皇の怒りを買って壊滅的な状態になりますが、文覚上人が後白河法皇や源頼朝の支援を受けて再建させる事ができました。

 神護寺の境内を散策しますと紅葉が綺麗でした。
 本堂にはご本尊の薬師如来像がありました。平安時代の物です。作成年数は不明ですが高雄寺と神願寺との合併前だと言われています。1200年前に作られた物と思いますと、よく保存できていると思うばかりです。

 模写ですが空海直筆の結縁灌頂(けちえんかんじょう)の出席者名簿が展示されていました。
 その中には最澄の名前がありました。最澄と空海。2人は唐へ留学しました。最澄は語学ができなかったため、あまり学ぶ事ができませんでした。そして学んだのは天台宗でした。
 その一方で空海は語学の達人な上、真言密教を2年で習得し免許皆伝になりました。それだけでなく土木や薬学などの知識も習得しました。天才です。

 空海、最澄が帰国したとき、日本の皇族・貴族の間では密教に関心が集まりました。
 日本では最澄の方が身分が上で、かつ年齢も上でしたが、最澄はプライドを捨てて、空海に頭を下げるように真言密教を習おうとしました。
 しかし最澄には多くの弟子がいたため自ら修行する事ができませんでした。文章だけで会得しようとして手紙やりとりなどで取得しようとしましたが、空海が「密教は体験によってのみ学ぶことができる」と言われました。体験による会得をしようといない最澄に対して、空海は「いい加減にしろ」と言わんばかりに最澄をボロカスに批判したため、最澄もブチ切れて絶縁になりました。その絶縁の場になったのも、この神護寺でした。

 他にも教科書でお馴染みの伝・源頼朝の肖像も展示していました。以前は源頼朝の肖像と言われていましたが、近年、別人かもしれないという説が出たため「伝」がつくようになりました。

 歴史を感じながら紅葉を楽しむ事ができました。

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