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ヨシの群生地。西の湖と円山水郷。滋賀県近江八幡市

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 1月9日に近江八幡の水郷・円山へ行った話です。
 西の湖は琵琶湖の内湖でヨシの群生地として知られています。夏場は水郷めぐりができます。自然と触れ合うことができます。
 冬場でも同志社大学の佐野静代先生の著書「外来植物が変えた江戸時代」(吉川弘文館)を片手に散策しますと違った視点で見ることができます。

 ヨシを刈り取る風景を見ることができました。人の背丈を越える高さのヨシを手作業で刈り取るので大変だと思いました。
 そして刈り取ったヨシを干している様子も見ることができました。

 「外来植物が変えた江戸時代」には中世の琵琶湖周辺でのヨシの活用と、ヨシの活用によって琵琶湖に与えた影響を書いていました、
 すだれなどの日用品の材料、燃やして肥料にするなどの用途だけでなく、ヨシを刈り取ることで枯れたヨシが沈殿して琵琶湖の富栄養化する事や、沈殿物が堆積して湖から湿地帯に遷移するのを防ぐ役割があったと書いています。
 人の手が入った山間部の自然を里山というのに対して、人の手が入った湖の自然を「里湖」(さとうみ)という事も書いていました。

 ところで西の湖ですが、昭和17年、干拓される危機がありました。
 米の増産のため周囲にありました琵琶湖の内湖の中の湖、伊庭湖、弁天湖が干拓されてきました。
 しかし西の湖は残りました。水害が発生したため治水上、必要とされたためでした。他にもヨシが採取できなくなる事から住民の反対運動があったとも言われています。
 今の基準でしたら自然を守れになります。しかし当時の日本は米の自給ができませんでした。明治以降の爆発的な人口増加に米の生産が追いつかず輸入に頼っていました。太平洋戦争がはじまった事で、国内での米の生産の必要性に迫られました。そして戦後20年間も米が自給できずにいました。そのため当時の干拓を安易に批判ができないですね。

 さて西の湖の水郷めぐりの船着場に「島真珠」と書かれた看板がありました。戦前、西の湖で淡水真珠がとれていたためです。

 水郷の里の入り口付近の畑に、チコちゃんとキョエちゃん、カールおじさんの、かかしがありました。
 チコちゃんに「ボーっと生きてんじゃねーよ!」と叱られないように、色々、観察しながら水郷めぐりをしました。

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