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敦賀の歴史散策・氣比神宮。福井県敦賀市
12月18日、敦賀へ行きました。私が住んでいます西宮からですと、尼崎で敦賀行きの新快速に乗れば、そのまま敦賀まで行けるので非常に便利です。
敦賀という地名が登場するのは日本書紀の持統天皇の章です。持統6年、角鹿(つるが)郡の氣比神宮の記述がありまます。元々は敦賀の表記は「角鹿」でした。
敦賀駅を降りて、最初に向かったのが氣比神宮です。地元では「けいさん」で親しまれています。
赤い大鳥居。木造の鳥居の中では日本でも最大級です。しかも江戸初期の1645年にできた大鳥居です。400年近く前の大鳥居。歴史を感じますね。
大鳥居は奇跡の大鳥居でもあります。戦時中、敦賀は激しい空襲に見舞われ社殿は焼け落ちました。しかし大鳥居は免れました。
氣比神宮の由緒では702年、文武天皇の勅命で合祀された上、修営したとなっています。
この時、敦賀の表記が「角鹿」から「敦賀」に変わりました。敦賀の表記も1300年前からありますので歴史を感じます。
ちなみに文武天皇は持統天皇の孫です。文武天皇については以前のブログ4月9日は全国統一の計量単位(度量衡)の日。でも紹介しました。
そして渤海の使節団が最初に滞在したのも敦賀です。古代から海上交通の要所だったようです。
そのため奈良時代の朝廷も敦賀の地を重要視していたのかもしれないですね。
境内を散策しました。ユーカリの木がありました。昭和11年(1936年)に武運長久(武人としての命運が長く続くこと)を祈願して、陸軍関係者が献木した物です。
平成29年(2017年)、30年(2018年)の台風で被害を受けたものの、懸命な治療の結果、再生しました。
松尾芭蕉の銅像もあります。そして日本百名月認定の、のぼりがありました。松尾芭蕉と氣比神宮の名月は関連があります。
松尾芭蕉が氣比神宮で「月清し遊行の持てる砂の上」と詠んだ事に由来しています。
俳句の心得の無い私ですが、街灯のない時代、真っ暗な中、月明かりだけで参拝した際、社殿と月が絵になる光景だったように推測できます。実は全然違っている可能性もありますので、あくまでも私の勝手な推測です。
そして敦賀の名前の由来になりました角鹿神社があります。
古代から現代まで敦賀を見守ってきた氣比神宮。そんな歴史を感じました。