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近鉄・宇治山田駅と野球の沢村英治。三重県伊勢市

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 5月5日、近鉄で賢島へ向かう途中、宇治山田駅で途中下車しました。
 宇治山田駅は、NHKの番組「ブラタモリ」でも紹介があった駅です。

 宇治山田駅は昭和6年(1931年)に参宮急行電鉄(現・近鉄)の終着駅として建設された駅です。当時は鳥羽や賢島までは伸びていませんでした。
 余談ですが、参宮急行電鉄は大阪電気軌道(近鉄の前身)の子会社で、伊勢進出のために設立された子会社です。そのため宇治山田駅が完成した事で、大阪から伊勢神宮への直通列車が走るようになりました。
 宇治山田駅は伊勢神宮参拝へのターミナル駅という位置づけでした。そのため伊勢神宮の最寄り駅に相応しい駅舎になっています。
 私に建築の知識があれば、うんちくが書けるのですが、建築に関する知識はゼロなので「立派な建物」としか表現できません。

 駅の外観だけでなく、コンコースも風格のある内装になっています。
 伊勢神宮には皇族や政府要人も参拝する事から貴賓室も設置されています。現在でも皇族の方が伊勢神宮に参拝される際は近鉄を利用しています。

 駅のホームからは、かつてのバスターミナルを見る事ができます。そしてバスの向きを変える転車台があります。
 ホームから鳥羽・賢島行のバスに直接乗り換えができるように作られました。現在では使われていませんが、当時の様子をうかがう事ができます。
 
 宇治山田駅前にあります商店街には「沢村英治・生誕の街」と書かれた看板がありました。
 沢村英治は日本プロ野球の黎明期から初期にかけて、巨人の初代エースとして活躍した人物です。沢村賞の沢村英治です。
 昭和9年(1934年)、日米野球が行われた際、日本は8戦8敗で歯が立たない状態でしたが、沢村英治は8回1失点に抑える好投を見せ、アメリカ人選手からも一目置かれる存在になりました。

 平和な日々が続けば、沢村英治はプロ野球に残る大記録を残していたかもしれません。
 しかし、戦争がそれを打ち砕きました。戦場に駆り出された沢村英治。手りゅう弾の投げすぎで肩を壊したといわれています。
 その後、プロ野球に復帰しましたが、成績がふるわずに終わりました。そして昭和19年(1944年)、2回目の戦場に赴く途中の船がアメリカ軍の魚雷が命中し、昭和19年(1944年)に戦死しました。悲劇の名投手ですね。

 宇治山田駅。伊勢神宮参拝の駅ですが、日本のプロ野球史を垣間見る事ができますので、伊勢神宮参拝のついでに商店街にあります沢村英治の展示をご覧になられるのをお勧めします。
 

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