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誉田八幡宮。大阪府羽曳野市

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 10月30日、誉田八幡宮へ行きました。
 誉田八幡宮の祭神は応神天皇です。しかも応神天皇陵が隣にあります。
 応神天皇は仁徳天皇の父親で、以前のブログ「機織の専門家を祀った穴織宮・伊居太神社」でも取り上げました通り、海外の技術を取り入れた天皇として日本書紀に書かれています。

 歴史は古く欽明天皇の時代に勅令として応神天皇陵の前に社殿ができました。聖徳太子の祖父の時代なので1500年くらい前になります。
 平安時代、後冷泉天皇が現在の位置に移動させたと言われています。

 八幡宮。鎌倉幕府を開いた源頼朝。源頼朝の河内源氏は八幡宮を信仰していました。鎌倉にあります鶴岡八幡宮は、京都にあります石清水八幡宮を勧請してできました。
 八幡宮と源氏との縁もあって、この誉田八幡宮も源氏をはじめとした武家の信仰を集めました。室町時代の将軍・足利家や守護大名の細川、斯波、畠山などは源氏の血を引きますので、八幡宮を信仰しても不思議ではありません。
 戦国時代、戦乱に巻き込まれるも豊臣秀吉から寄進を受けたり、豊臣秀頼が片桐且元に命じて社殿の再建を行いました。江戸時代になっても幕府の保護を受けました。徳川家も源氏の血筋だとしていましたため、八幡宮を保護するのは自然の流れですね。
 明治になり廃仏毀釈のため境内にありました長野山護国寺が廃寺されました。

 境内を散策しますと、七・五・三のために参拝に来ている家族づれを見ました。ドラえもんとキティーちゃんがありました。子供が喜びそうですね。
 13重塔と推測されている物があります。平安時代から鎌倉時代にできたと言われています。それだけでも歴史を感じますね。

 石橋があります。とても人が歩ける物ではない急斜面の橋です。この先に応神天皇陵がありますが立ち入り禁止なので入りませんでした。

 ここで後悔している事があります。誉田八幡宮の歴史を知らずに行きましたため、境内に長野山護国寺にあった事を知りませんでした。
 今は廃寺になっていますが、長野山護国寺の南大門が残っています。南大門の事を知らなかったため、南大門を撮影しませんでした。ちょっとガッカリという所です。

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