Blog

源義経が元服した神社。鏡神社。滋賀県蒲生郡竜王町

ブログ

 今年の大河ドラマ「鎌倉殿13人」です。源義経が出てくるのは、まだ先の話ですが義経ゆかりの地を書くことにします。

 源義経は中山道の宿場町・鏡宿で元服しました。元服を行った神社が鏡神社です。
 鏡神社は滋賀県蒲生郡竜王町の国道8号線沿いにあります。野洲市との境付近で、道の駅・竜王かがみの里の近くです。

 鏡神社には「元服の地」というのぼりがいくつもありました。
 神社の入口の松は、義経が烏帽子をかけた松の幹があります。明治6年(1873年)の台風で折れてしまい、現在では幹の部分を保存しています。元服の際、源氏再興を祈願したとも伝えられています。

 境内を散策しました。本殿は室町中期に建てられたと言われています。推定では600年前と言われています。
 600年間、木造建築が風雨に耐え、火災に遭わず、地震にも耐えて今に残る。凄いですね。
 1420年頃は足利義持の時代でした。父親の足利義満に冷遇された足利義持は、恨みを晴らすが如く、全く反対の政策を行っていきました。
 その一例が足利義満が始めた勘合貿易を、足利義持はあっさりとやめた事です。足利義持は以前のブログ「日本の禁酒令、アメリカの禁酒法。道徳のつもりが真逆の結果に」にも紹介しましたが禁酒令を出しながら自分は飲酒をしていました。

 鏡神社の祭神は天日槍(あまのひぼこ)です。
 日本書紀の垂仁天皇の章の垂仁3年の記述に新羅からやってきた新羅の王子とあります。
 さらに日本書紀には、垂仁天皇は宍粟(兵庫県宍粟市)か淡路島に住むのを許可した所、天日槍は諸国を回って適地を探したいと願い出て垂仁天皇はそれを認めた事。諸国を回る際、近江国吾名邑にしばらくいたのち、若狭を経て但馬に行って居住した事。近江国鏡邑の谷の陶人(すえびと)が天日槍の従者になった事が書いています。そのため伝承として天日槍が、この地に製陶技術を伝えた上、鏡を納めたとも言われています。渡来人による技術移転の話です。

 実際の所はどうなのかはタイムマシンに乗って確かめないとわからないですが、想像をめぐらせるだけでも歴史ロマンを感じますね。

 

Share

Category

Archive

Recent posts